Ⅰ 市内米軍施設の沿革と取組 1 1 市内米軍施設の沿革と本市の取組 (1) 戦後の接収 第二次世界大戦後に進駐した連合国軍は、横浜市の中心部や港湾施設などを広範囲に接収しました。 接収は、戦災を免れわずかに残った市街地の民間事務所や劇場、百貨店から、官公庁や学校、公園等の公共施設にまで及び、市の都市機能はほとんど麻痺するに至りました。 また、中心部以外でも旧軍の施設等が大規模に接収されました。 このため、戦前の横浜経済を支えていた商社、金融機関や企業の本店は、東京その他の地域への移転を余儀なくされ、大さん橋をはじめとする港湾施設の接収とあわせて、本市は復興の原動力ともなるべき経済基盤を失うこととなりました。 昭和26年に平和条約(講和条約)及び旧日米安全保障条約が締結されましたが、翌昭和27年には日米両国間の行政協定に基づき、市内接収区域があらためて米軍に提供されることとなりました。 一方、接収解除に関しては、本市では昭和25年に制定された「横浜国際港都建設法」に基づく都市計画を契機に、接収解除運動を展開する機運が高まりました。昭和26年8月には、神奈川県及び横浜商工会議所とともに横浜市復興建設会議を設立し、接収解除に向けた運動を本格的に開始しました。 こうした背景の中で、日米両政府は、市街地中心部の施設を都市周辺部の施設に集約するリロケーション計画を合意、横浜市内でも山下公園住宅地区など約80の施設が返還されることとなりました。 昭和36年3月には市会に接収解除促進実行委員会が組織され、また昭和38年7月には、接収解除を所管する渉外部(現・基地対策課)が設置されました。 昭和30年代後半からは、高度経済成長にともなう人口増から米軍施設の返還・移転が一層切実になりました。昭和43年12月の第9回日米安全保障協議委員会で全国約50の米軍施設についての返還が合意され、本市では根岸競馬場地区(昭和44年)、横浜ランドリーや山手住宅地区(昭和47年)などの米軍施設の返還が実現しました。 しかし、昭和51年6月の国有財産中央審議会答申において、10ヘクタール程度以上の返還財産の利用区分に関する統一的な処理基準と、返還国有財産の処分は原則として有償とするとの考え方が示され、昭和54年12月に全返還財産共通の処分条件が決定されました。この条件は自治体に、新たな財政上の負担を強いることとなりました。 このような厳しい状況にもかかわらず、全市を挙げての粘り強い取組によって、昭和57年3月には市の中心部にあった横浜海浜住宅地区、新山下住宅地区の全部及び根岸住宅地区の一部、合計約82ヘクタ-ルが返還されました。さらに、平成に入ると、横浜冷蔵倉庫(平成6年)、神奈川ミルク・プラント(平成12年)の返還が実現しました。 (2) 神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等 ア 平成16年の日米合意 平成15年2月から、神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等に関する日米間の協議が、日米合同委員会の下におかれている施設調整部会において開始されました。 この日米協議においては、池子住宅地区及び海軍補助施設の横浜市域において住宅等の建設がなされれば、根岸住宅地区、富岡倉庫地区、深谷通信所、上瀬谷通信施設(一部)については、施設・区域の返還について考慮することが可能となるとされました。また、特に住宅建設問題について関係自治体と調整することとしており、国から本市に対して意見照会がありました。 これを受け、本市は二度にわたり文書照会を行い、市長は自ら防衛施設庁長官や防衛庁長官と会談し、建設と返還を一括とされることによる地元、横浜市民の苦悩を伝え、住宅等の建設と切り離して施設返還を行うべきであるという、市の考えを強く主張しました。 しかし国は、「住宅等の建設と施設の返還は一連の案件であり、一括して処理すべきものである」との姿勢を崩さず、住宅等の建設への固い意志を改めて示しました。 この問題に関し、市会においては、本会議のほか様々な場で議論があり、幅広い意見をいただきました。また住宅等の建設を行うとされた地元・金沢区からも多くの意見をいただきました。 こうした経過を踏まえ、国に対し、返還が可能とされた施設・区域に加え、池子住宅地区及び海軍補助施設の横浜市域の飛び地、小柴貯油施設、一部を返還するとされていた上瀬谷通信施設の全部の返還を、住宅等建設については、緑を可能な限り残し、自然環境の保全に十分配慮するとともに、住宅建設戸数について見直しを図り、できうる限りの削減を行うことを、本市として新たな提案を行いました。 その結果、施設調整部会において、 (ア)施設・区域の返還に関しては、上瀬谷通信施設、深谷通信所、富岡倉庫地区、根岸住宅地区の全部、池子住宅地区及び海軍補助施設の横浜市域の飛び地部分、小柴貯油施設の一部の返還の方向性について (イ)住宅及びその支援施設の建設に関しては、建設に伴う改変面積を抑制し、自然環境の保全に配慮するとともに、住宅建設戸数を700戸程度に縮減することについて 日米間の認識が一致した、という協議結果が国から本市に示されました。 この協議結果が市内米軍施設の面積の71%もの大規模な返還になること、建設に伴う改変面積を半分以下に抑制し、新規建設戸数の4分の1を削減することになることなどから、本市は国が市の新たな提案を重く受け止めたものと判断し、住宅等の建設と施設の返還について、国との具体的な協議に入ることを表明しました。 イ 平成16年の日米合意以降の施設返還 平成17年10月18日には、日米合同委員会において、一部返還とされていた小柴貯油施設の陸地部分全域約52.6ヘクタールの返還が合意されました。この結果、当時の市内米軍施設の総面積約528ヘクタールの約79%にあたる、419ヘクタールが返還対象となりました。 平成17年12月14日には、小柴貯油施設が返還され、昭和57年の横浜海浜住宅地区以来23年ぶりの大規模返還が実現しました。なお、制限水域の一部は、小柴水域と名称を改め、米軍に提供されています。 平成21年5月25日には、富岡倉庫地区が返還され、これにより同地区は全部返還が実現しました。 その後、平成26年6月30日に、深谷通信所の全部返還が、平成27年6月30日には、上瀬谷通信施設の全部返還が実現しました。 なお、平成16年の日米合意とは別に、平成21年3月31日及び令和3年3月31日には、瑞穂ふ頭/横浜ノース・ドックの土地の一部等が返還されています。 その結果、平成16年の日米合意以前から比較すると、施設・区域数は8から4へ、面積は528ヘクタールから150ヘクタールへと、大きく米軍施設・区域の返還が進みました。 ウ 住宅等建設の取り止めと根岸住宅地区の返還に向けた共同使用 平成30年11月14日の日米協議において、神奈川県内の米軍施設・区域の整理等について、当初の合意から10年以上が経過し、我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増し、米海軍の態勢及び能力に変化が生じていることから、平成16年の日米合意が見直されました。 その中で、池子住宅地区及び海軍補助施設の横浜市域における住宅等建設については取り止め、根岸住宅地区については、土地所有者の方々に当該土地を早期に引き渡し、跡地が利用できるようにするための原状回復作業を速やかに実施するため、共同使用について協議が開始すること及び具体的な返還時期は原状回復作業の進捗に応じて協議されることが合意されました。 その後、令和元年11月15日には根岸住宅地区の共同使用について合意され、令和3年7月に、南関東防衛局が既設建物及び工作物の解体撤去を行う原状回復作業に着手し、現在その作業が進行中です。 エ 跡地利用の具体化(令和4年度まで) 平成17年6月、本市は、上瀬谷通信施設、深谷通信所、富岡倉庫地区、根岸住宅地区、小柴貯油施設の跡地利用を検討するため、学識経験者や国等関係行政機関の職員を委員とする「横浜市返還施設跡地利用構想検討委員会」を設置し、同年12月に、検討委員会から「返還施設の跡地利用に関する提言」を受理し、この提言について寄せられた市民意見や民間土地所有者の意見を踏まえ、平成18年6月に提言の内容に沿った「米軍施設返還跡地利用指針」を策定しました。 平成19年3月には、「横浜市米軍施設返還跡地利用行動計画」を策定し、その後、平成23年3月に計画の達成状況や社会情勢の変動等を踏まえ、行動計画の改定を行っています。 行動計画で掲げた内容を具体化するための取組として、旧小柴貯油施設については、平成20年3月に「小柴貯油施設跡地利用基本計画」をまとめました。 また、国有地処分については、平成24年9月に国から要件付きで無償貸付の提案があり、その後、平成25年2月に国有財産関東地方審議会答申を経て、国が都市公園敷地として無償貸付の方針を決定しました。これを受け、平成26年7月に「(仮称)小柴貯油施設跡地公園基本計画」を確定し、平成29年8月から公園整備を進め、令和3年7月30日に「小柴自然公園」として第1期エリアの一 部を公開しました。 旧富岡倉庫地区については、平成23 年7月に旧富岡倉庫地区跡地利用基本計画を策定するとともに、一部を平成26 年に再整備が完了した衛生研究所の敷地として活用しています。 根岸住宅地区については、まちづくりを推進するため、平成22 年3月に民間土地所有者等による「米軍根岸住宅地区返還とまちづくりの会」が設立され、その後、平成24 年3月には、「米軍根岸住宅地区返還・まちづくり協議会」へ移行しました。 「米軍根岸住宅地区返還・まちづくり協議会」では、懇談会を定期的に開催し、平成29 年5月に「まちづくり基本計画(協議会案)」を取りまとめました。 これを踏まえ、令和3年3月に本市は「根岸住宅地区跡地利用基本計画」を策定し、事業化に向けた検討を進めています。 旧深谷通信所については、平成22 年10 月に設立された「泉区深谷通信所返還対策協議会」で、跡地利用の検討が進められ、平成25 年3月、市に「跡地利用計画案」が示されました。 また、同年同月に戸塚区においても区民意見が取りまとめられ、これらのご意見や知見を踏まえ、平成30 年2月に「深谷通信所跡地利用基本計画」を策定し、都市計画決定に向けて、環境影響評価手続きと各施設の基本計画策定の手続きを進めています。 環境影響評価手続きにおいては、方法市長意見書を受けて、生物調査等の追加調査を実施しました。 また、通路や広場、野球場等の暫定利用の取組を進めるとともに、一部通路の舗装や管理柵の修繕による安全性と利便性の向上を図っています。 旧上瀬谷通信施設については、平成27 年6月に返還され、平成29 年11 月に地権者が設立した旧上瀬谷通信施設まちづくり協議会とともに検討を進めてきました。 市民意見募集や説明会等を実施し、市民の皆さまのご意見も踏まえた上で、令和2年3月に、まちづくりの方針や土地利用の考え方をとりまとめた「旧上瀬谷通信施設土地利用基本計画」を策定しました。旧上瀬谷通信施設地区は、「農業振興地区」、「観光・賑わい地区」、「物流地区」、「公園・ 防災地区」の4つの地区に分けて土地利用を進めています。令和4年4月には、旧上瀬谷通信施設地区の土地区画整理事業について対象となる区域を都市計画決定し、同年10 月の事業計画決定後、令和5年1月に米軍施設の撤去工事を開始し、事業に着手しました。 GREEN×EXPO 2027 の開催や、その後の新たなまちづくりに向けて必要な基盤整備等を進めています。 (3) 令和5年度の主な取組 ア 市内米軍施設の返還要請活動 市内米軍施設・区域の早期全面返還及び跡地利用への支援等について、市長が各省に要請を行いました。 イ 跡地利用の推進 根岸住宅地区については、令和3年3月に策定した「根岸住宅地区跡地利用基本計画」を踏まえ、事業化に向けた検討を進めるとともに、地権者の合意形成支援を行いました。 旧深谷通信所については、平成30 年2月に策定した「深谷通信所跡地利用基本計画」に基づき、令和4年度に実施した追加調査等を踏まえ、環境影響評価の準備書の作成に向けた検討を進めました。 旧富岡倉庫地区については、平成23年7月に策定した「旧富岡倉庫地区跡地利用基本計画」の見直しも視野に、2回目の需要調査(サウンディング調査)を実施しました。 池子住宅地区及び海軍補助施設 (横浜市域)の飛び地については、この地域の広域避難場所に指定されていますが、現状、フェンスで囲われ、入口が施錠されているため、発災時に速やかな利用ができない状況です。そのため、地元要望を踏まえ、発災時の速やかな利用に向けて防災訓練を実施しました。 旧小柴貯油施設については、「小柴自然公園」として令和5年9月24日に第1期エリアを全面開園しました。 ウ その他 根岸住宅地区に囲まれた土地に居住されている横浜市民の方々の生活環境が維持されるよう所管省である防衛省に継続して要請を行っています。特に、令和2年6月から防衛省により原状回復作業が行われていることから、居住されている方々に対して十分な説明を行うとともに、返還・引渡し後も含めた生活環境の維持について国が主体的に取り組み解決していくよう求めています。 2 米軍施設返還のあゆみ ここに表があります。 主な出来事、主な米軍施設返還の動向を示した年表です。 表の説明は終わりです。